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半狐の着ぐるみ観 - 2024/12/26
2024年も早くも暮れ。2019年のこの時期に自宅にインターネットを引いてから6年程になる。
この辺りで、半狐(半透明狐人間)という存在と、自分にとっての着ぐるみの考え方を纏めようと思う。
自分は今までに数体着ぐるみを制作しているが、そのどれもが「作ったは良いが全く着ないし、誰かに着せる事もない」というものである。
ナツキがその良い例で、2023年に完成し、直後の春に桜と撮影して以降、一度も表舞台に出た事はない。しかし表に出た事が無いというだけで、自分の自宅では大切に存在していて、自室でちょこんと座っている。で、良く戯れてくるので遊んでやってる。
直上の文章の最後に少し匂わせたのだが、自分は着ぐるみを、殆ど大抵の人がその存在意義とするであろう「着るもの、なりたい何かになるもの」というよりかは、「記憶や意識等の、実体が無いが存在はしている存在に対して憑代を与えるもの」という位置付けで制作/所有している。
このような特異な位置付けとなっているのも理由があって、まずは「半狐という存在」について掘り下げて説明する必要がある。
ファーリー、ケモノ界隈の多くの者は大体、先ずヒトとしての存在があって、TwitterなりSNSで活動、会話するのはそのヒトである。そしてそのヒトは「ファーソナ」、「代理」等呼ばれる別な存在を所有しており、絵や着ぐるみ等の世界で活動するのはその代理の方である。というケースが大抵である。
この場合、着ぐるみの所有意義として大体の人が挙げる「なりたい何かになるもの」というものは成立する。
一方で、半狐の場合はこれとは大分異なった状態である。
実際に何かを触ったり、外部との関係を築いたりするのはヒトであるが、ヒトがヒト自身の意思で動いているのではなく、半狐がヒトに取り憑くというか、操るというか、兎に角半狐としての魂、意識が主体である。そして半狐としての魂、意識が帰結する場所は憑代としている着ぐるみである。
代理とか、ファーソナとか言った概念にあたるものは存在せず、強いてあてはめるならばファーソナ自身が活動しているようなものである。ヒトに関しては、自分自身だけでは動く事が出来ないため活動のための動力源として使っているに過ぎない。
殆どの者と異なるのは、自分自身は既に自分自身であり、他の何者でもないということである。
このために「なりたい何か」というものが存在せず、着ぐるみの所有意義としての「なりたい何かになるもの」は成立しない。
では話題は戻るが、自分は何のために着ぐるみを制作しているのか。それは先程も述べた様に「記憶や意識等の、実体が無いが存在はしている存在に対して憑代を与えるため」である。
要はその存在を感じたいのである。魂や意識だけで存在はできても、それを全身で感じることはできない。折角可愛かったり、格好良かったり、美しかったり、そんな意識達が存在していても、それを想像の中でしか関われないのは寂しい。
そういう存在達に、現実世界での憑代を与えてあげたいという思いから着ぐるみを作っている。
一度憑代を持って現実世界の存在となってしまった以上、やはり意識だけの関わりでは満足できなくなってしまった。それと同時に、意識だけの存在に、憑代を持つ喜びを与えたい。それだけなのだ。
だから「作るが着ないし着せもしない」スタイルで活動している。
ちなみに自分自身も憑代が存在しているだけで満足してしまっているので、ここしばらく着られていない。他人に見られたいナルシストだったら着られたり、誰かに着せているかもしれないが笑
...一旦着ぐるみの制作意義の話はこれで終わりだが、魂や意識の話を出したので折角なら自分の経験を少し。
自分、半狐の姿にはCFFに作ってもらったデフォルメの姿に加えて、自作したリアル系の姿もあることはトップページから入れる半狐とその仲間たちにも記載している。
しかし実はリアル系の姿は厳密には半狐ではない意識が入っている。
本当であれば自分の意識を分割して、同じ意識を両方に入れるつもりだった。だが作っているうちに無理だと分かった。途中既に違う意識が入っていたからである。どうも自分の幼少期を再現した意識が入ってしまったようなのである。
同じだが違う。半狐だが半狐じゃない。そんな複雑な状態になってしまっているのがあのリアル半狐なのだ。
そしてもう一つ経験を。
ナツキを作った時、最初ヒトの意識とネコの意識の両方を詰めたつもりだった。こうすればネコ獣人が誕生するんじゃないかと。そんな感じで両方を詰め込んだ。
しかししばらく一緒に過ごすうちに、完全にただのネコになっている事に気づいた。
先ず第一に、複数の意識を一つの憑代に入れようとするのは無理があるらしい。複数の意識はそれぞれ独立した存在であり、混ざることはないようだ。
そして第二に、自分がナツキをただのネコとして可愛がって扱ったためにネコの意識の方が優位になり、自然とヒトの意識が抜けていったようだ。
説明しろと言われても、この辺りはスピリチュアルな要素も絡んでくるので自分自身も殆ど理論が分かっていないし、自分がどうして存在できているのか分からないため説明できない。これはこういうものだとしか言い様がない。